"辻標49番:大町頭(おおまちがしら)大町一丁目の西に位置し、大町一丁目頭とも称した。幕末の絵図では、大坂に至る道の南側に三沢信濃・石母田大膳、北側に大内縫殿・古内左近介と言った重臣の屋敷が向かいあっている。明治9年、仙台初の博覧会(宮城博覧会)がこの地で開催され、明治天皇が臨遊された。"
"辻標49番:大坂(おおさか)仙台七坂の一つで、大町頭から大橋に至る坂。藩政時代は屈折した急坂だったが明治以降直線化・勾配緩和工事が進められた。南側には有事の際に大橋焼き落としの備えとする竹籬(たかがき)が、また大橋たもとにには肴蔵があり、中央の吹抜けが琵琶首丁と仲ノ町の通路となっていた。"
"受付時間は毎日午前9時から午後4時半(目安)まで"
"毎度ごひいきにありがとうございます。この度6月22日から7月15日までパリの6区にあるナポレオンゆかりの商工会議所内のフェランディ校で念願のパンとお菓子の研修を受ける事になりました。その間渡しが抜ける事になるのでお店の品ぞろえが少なくなりますが、どうかご了承くださいね。"
"辻標36番:二軒茶屋(にけんちゃや) 新寺小路東端と宮城野を通る東街道とが交わるあたりに、宮城野原を見渡せる大久保・鹿島の月見茶屋が幕末からあった。これを二軒茶屋と呼び、やがて小字名となった。戦前は付近に新井氏別邸や騎兵隊があったが、戦後都市化が進み練兵場跡は総合グラウンドに名残をとどめている。"
"辻標68番:土樋(つちとい) 西端は鹿子清水、東端は石名坂に至る広瀬川北岸沿いの長い通り。「仙台鹿の子」によれば、その名は土の樋をかけて水を流したのに由来するという。生保仙台城絵図では西半部に侍屋敷と鷹師屋敷が割り付けられ、東には餌差屋敷がみえる。政宗の祖父晴宗の時代に城があったという記録もある。"