日本城郭協会が財団法人化 40 年周年を記念して 2006 年に定めたもの。
1. ヲンネモトチャシ跡
2. 五稜郭
3. 松前城
4. 弘前城
Rue. SATOH: 津軽藩 10 万石の居城。元々 5 層 6 階の天守が本丸南西にあったものの落雷で焼失し、現在は「本丸未申櫓跡」として天守台のみが残る。現在「天守」と称される層塔型の御三階櫓は 1810 年築。御三階櫓は堀側と本丸側で外観が異なり、(表から見えない) 本丸側には破風のような装飾物が設けられていない。別名の「鷹岡城」がマスコット「たか丸くん」の名前の由来。
5. 史跡根城の広場
6. 盛岡城跡公園 (岩手公園)
7. 多賀城政庁跡
8. 仙台城跡
9. 久保田城跡
10. 霞城公園 (山形城跡)
11. 霞ヶ城公園 (二本松城跡)
12. 鶴ヶ城
13. 小峰城 (城山公園)
Rue. SATOH: 白河結城氏 3 代・結城 (小峰) 親朝が 1340 年に本拠地・白川城の北西に築き、以後は奥州仕置で改易されるまで小峰氏の城となる。現在の総石垣造りの姿は 1627 年に丹羽長重が棚倉から移封されて白河藩を立藩した際に整備されたもの。戊辰戦争で建物はほぼ焼け落ち、周囲の水濠の多くが埋め立てられるなど本丸以外の領域は改変著しいが、本丸と帯曲輪 (竹之丸) を護る石垣は見事。
14. 水戸城跡
Rue. SATOH: 12 世紀末の建久年間に常陸平氏の大掾資幹が馬場城として築いたとされる。小田原征伐後に佐竹義宣が太田城から移るが久保田藩に転封させられ、威公・徳川頼房が入って水戸藩の政庁となる。那珂川と (かつてはもっと東まで広がっていた) 千波湖に挟まれた台地を巨大な堀切で区切った連郭式の城で、水郡線が走る本丸と二の丸の間の堀切の規模は圧巻。三の丸附近にも空堀や土塁が残る。
15. 鑁阿寺 (足利氏宅跡)
Rue. SATOH: 元は源義康が築いた居館で、現在も境内周囲に土塁と堀が残る。鑁阿寺の「鑁阿」は足利義兼の法名。この「鑁」の字は康煕字典にはなく、諸橋漢和にも載っていないが、JIS X 0208 第二水準に入っているのはこのお寺のおかげかも。このお寺の名前でしか使わない + あまりにも画数が多いことからか、市内では「ばん阿寺」という表記も見かける。
16. 箕輪城跡
Rue. SATOH: 榛名白川の河岸段丘上に築かれた梯郭式の平山城。箕輪衆と呼ばれた武士団を纏めて山内上杉氏に仕えていた上野長野氏の居城で、1512 年に長野業尚が築城したとされる。北条・武田・上杉の争いを長く跳ね除けた城だが、1556 年に武田方の総攻撃で落城。家康の関東入部後は井伊直政が入るも、高崎城に本拠を移したため廃城。巨大な堀切や土橋が続き見応えがある様はさすが 100 名城。遊歩道は未舗装路がメイン。
17. 金山城跡
Rue. SATOH: 1469 年に岩松家純が金山の尾根上に築いた山城。後に家老・横瀬成繁が奪い、由良氏 (横瀬から改姓) の城となる。上杉・武田の攻撃も跳ね除けた難攻不落の城だが、後に北条に従い開城、由良氏は桧杓山城に移り、後の小田原征伐で廃城。関東では珍しい石垣の城で、特に本丸虎口の石垣は圧巻。堀切や 2 つの池など、石垣以外の見所も多数。本丸からの眺めも素晴らしい。
18. 鉢形城跡
Rue. SATOH: 荒川と深沢川に挟まれた断崖上に建つ連郭式平山城で、長尾景春が 1476 年に築いたとされる。1564 年に当城に入った北条氏邦が整備拡張して現在の姿になるも、小田原征伐を受けて廃城。しっかりと整備されており、石積みの土塁や巨大な空堀、様々な馬出など見所は豊富。城域は深沢川を越えた外曲輪にまで広がっており、一通り見て回るには 2 時間は必要。
19. 川越城 本丸御殿
Rue. SATOH: 越前松平家の分家である松平大和守家の川越藩主・松平斉典が 1848 年に建てたもの。かつての入間県県庁であり、昭和初期には武徳殿として使われていた。川越城本丸はおおよそ今の川越高校と初雁公園に相当。
20. 佐倉城址公園
Rue. SATOH: 堀田正睦を始め、藩主 9 人が老中に登用 (全国最多) されたことから「老中の城」の異名を持つ平山城。天文年間に千葉親胤が築いた中世城郭を元に、土井利勝が家康の命を受けて完成させた。印旛沼に向かう「馬の背」と呼ばれる台地の西側先端を利用し、川を水堀として、東側台地に城下町を配して守りを固めている。明治維新後は歩兵第 2 連隊・第 57 連隊の駐屯地となったため、それらの遺構もしっかり残っている。
21. 江戸城跡
Rue. SATOH: 天守が残っていないので甘く見られがちだが、名実ともに日本一の城に相応しい巨大さに圧倒される。本丸と二の丸は皇居東御苑として見学可能だが、城好きなら少なくとも半日以上は楽しめるボリューム。江戸城跡を示す制札は、和田倉噴水公園の南西部に立つ。
22. 八王子城跡
23. 小田原城
Rue. SATOH: 元々は大森氏が 1417 年に築いたとされる城だが、北条氏綱以降に後北条氏累代の本拠地となる。元は八幡山附近が本城だったと伝わる。家康の関東入府以後は大久保氏の (途中の改易を挟む) 小田原藩本拠地として、江戸城を除けば関東唯一の石垣を持つ近世城郭となった。廃城後は多くの建物が破却、残った建物も関東大震災で被災し、現在の建物は全て再建されたもの。本丸南側に残る崩れた石垣が地味に見所。
24. 武田神社 (躑躅ヶ崎館趾)
Rue. SATOH: 言わずと知れた武田氏の居館。信虎が甲府盆地東部の川田館から 1519 年に当地へ入ってから、1582 年に勝頼が新府城へ移るまで使われた。現在でも巨大な堀や土塁が良好に残る。南側の武田神社入口は後世に築かれたもので、本来の入口は東側にある大手口。城として見応えがあるのは勝頼の時代に設けられたらしい西曲輪。南側虎口に設けられた枡形や、西曲輪と北曲輪を区切る堀を越える土橋は必見。
25. 甲府城
Rue. SATOH: 元は甲斐源氏・一条忠頼の居館があり「一条小山」の名で呼ばれた場所。甲斐を手に入れた家康が平岩親吉に命じて築かせ、後に浅野長政が完成させた。外側の曲輪は潰され、残る曲輪にも改変が加わってはいるものの、環郭式の構造が良好に残る。鍛冶曲輪・天守曲輪・本丸と石垣が積み重なる様は壮観。破却された門や櫓も復元されており、お城としての見応えは充分。
26. 松代城址
27. 上田城跡
28. 小諸城址 懐古園
29. 松本城
30. 高遠城址公園
31. 新発田城跡
32. 春日山城跡
33. 高岡城跡
Rue. SATOH: 火災で焼失した富山城に替えて前田利長が 1609 年に築いた城だが、1614 年に一国一城令で廃城。しかし加賀藩はその後も米蔵や火薬蔵などを置きつつ密かに軍事能力を維持し、水濠や土塁もそのまま残した。神社や市民会館が建ったため内部は大きく改変されているが、水濠と曲輪は旧来の姿をよく留めている。
34. 七尾城跡
35. 金沢城公園
Rue. SATOH: 1546 年に建てられた本願寺の尾山御坊を攻め落とした佐久間盛政が 1580 年にその跡地に築いた城で、後の加賀前田家の居城。輝く鉛瓦 (瓦状に加工した木に鉛版を貼り付けたもの) と海鼠壁が特徴。鉛瓦を使った理由は凍害 (瓦内部の水分が凍結膨張して瓦が割れること) を防ぐためとも、積雪に耐えるための軽量化の手段とも、鉛白による美しさを狙ったためとも伝わる。
36. 丸岡城
37. 一乗谷朝倉氏遺跡
38. 岩村城跡
39. 岐阜城
40. 山中城跡
Rue. SATOH: 小田原の西の守りとして東海道を押さえるべく、永禄年間 (1558-1570) に北条氏康が築いた城。小田原征伐に備えて岱崎出丸を急遽増築したため、東海道を内包するような構造となった。小田原征伐では守勢 3 千が豊臣秀次率いる 7 万の攻め手と対峙し、果敢に戦うも半日で落城、廃城となる。堀や土塁は芝で保護されていて、城郭庭園とも言える風景が続く。芝が青々とした夏は本当に美しい。
41. 駿府城跡
Rue. SATOH: 武田氏滅亡後に駿河を手に入れた家康が、新たな拠点として 1585 年から松平家忠に命じて築かせた城 (天正期駿府城)。家康が大御所として戻った 1606 年からは天下普請による大改修が行われ、三ノ丸を含めた現在の総石垣の環郭式の城 (慶長期駿府城)となった。建物は全て再建だが堀と石垣が良好に残る。特に石垣は規模が大きく、天守台発掘現場を含めて様々な積み方を見ることが出来て楽しい。
42. 掛川城
Rue. SATOH: 天守は 1604 年と 1854 年に地震で崩壊しており、現在の天守は 1994 年に当時の姿を模して木造で復元されたもの。掛川駅の新幹線ホームからもその姿を拝むことができます。
43. 犬山城
Rue. SATOH: 二重二階の入母屋の上に望楼が載った「望楼型天守」と呼ばれる形式で、江戸初期に建て増された小振りな望楼と唐破風がお洒落。一方、戦国期に建てられた入母屋は下見板張りに野面積の石垣と、なかなかに無骨な面構え。江戸時代の城主は成瀬氏だが尾張藩家臣の扱いで、明治維新で尾張藩から独立して犬山藩となるまで大名としては扱われていなかった。
44. 名古屋城
Rue. SATOH: 元々この地に今川氏親が築いた「柳ノ丸」を織田信秀が奪って「那古野城」と改名。信長が清須に移って廃城となる。現在の名古屋城は 1609 年に家康が築いたもの。有料ゾーンは本丸・西の丸・深井丸と二の丸の一部に相当。
45. 岡崎城
46. 長篠城跡
47. 伊賀上野城
48. 松坂城跡
49. 小谷城跡
50. 彦根城
51. 安土城跡
52. 観音寺城跡
53. 二条城
54. 大阪城
Rue. SATOH: 大阪の小学校の遠足の定番。「太閤さんのお城」と習ったのに、現在残っているのは豊臣時代のものじゃないと知ったときのショックといったらもう…。豊臣時代の縄張は黒田孝高、徳川期の再建は藤堂高虎が担当。徳川期の天守は落雷で 1665 年に焼失しており、1931 年の復興天守建造まで天守なしのお城でした。
55. 千早城跡
56. 竹田城跡
57. 篠山城跡
58. 明石城
59. 姫路城
60. 赤穂城跡
61. 高取城跡
62. 和歌山城
63. 鳥取城址
64. 松江城
65. 月山富田城跡
66. 津和野城跡
67. 鶴山公園 (津山城跡)
68. 備中松山城
69. 鬼ノ城
70. 岡山城
71. 福山城
72. 吉田郡山城址
73. 広島城
74. 岩国城
75. 萩城跡 / 指月公園
76. 徳島城跡
77. 玉藻公園 (史跡高松城跡)
78. 丸亀城
79. 今治城
80. 道後公園 (湯築城跡)
81. 松山城
82. 大洲城
83. 宇和島城
84. 高知城
85. 福岡城跡
86. 四王寺県民の森
87. 名護屋城跡
88. 吉野ヶ里遺跡
89. 佐賀城跡
90. 平戸城
91. 島原城
92. 熊本城
93. 人吉城跡
94. 府内城跡
95. 岡城跡
96. 飫肥城址
97. 鶴丸城跡 (鹿児島城跡)
98. 今帰仁城跡
99. 中城城跡
100. 首里城
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