廃線跡・廃駅跡・保存車輌など。
1. D51 885
Rue. SATOH: 1944 年に日立製作所笠戸工場で製造。仙台、尻内、盛岡、一戸と東北地方で働いた後、姫路、亀山、奈良と活躍の場を関西に移す。野晒し展示のため錆が酷い。
2. 旧下河原線跡
Rue. SATOH: 多摩川で採取した砂利の運搬を目的として 1910 年に東京砂利鉄道が国分寺駅 - 下河原駅 (貨物駅) 間を敷設。1920 年に鉄道省が買収して中央本線の貨物支線とする。後に東京競馬場前駅を分岐線で開設して旅客輸送も行うが、武蔵野線の開業に伴い 1973 年に旅客営業を終了。下河原までの貨物線も 1976 年に廃止され、廃線跡は緑道に転用。案内板が立つこの附近のみ、線路が残されている。
3. 本山駅跡
Rue. SATOH: 鶴見臨港鐵道 (鶴見線の前身) 本山駅は 1930 年開業。駅名は總持寺が曹洞宗大本山であることに由来しており、読み方は「ほんざん」。1942 年に燃料統制のための停車駅削減によって廃止。現在でもプラットホームが残る。
4. 天覧山駅跡
Rue. SATOH: 1945 年 2 月 3 日に休止後、復活することなく 1954 年 10 月 10 日に廃止。かつての駅前広場跡が丸々残るが、フェンスで囲われていて立入りはできない。
5. EF60 123 形直流電気機関車
Rue. SATOH: 両毛線で活躍してここで余生を送る…のだが、野晒し展示なのでちょっと痛々しい状態に。
6. いずみ緑道
Rue. SATOH: 1939 年に小泉町駅から仙石河岸駅を結んだ貨物線である仙石河岸線 (1976 年廃止) の廃線跡。西小泉駅も元は仙石河岸線の駅だった。路盤後や駅跡のような遺構は一切残っていないので廃線跡を期待するとがっかりするが、のんびりサイクリングするにはいい感じ。
7. 仙石河岸駅跡
Rue. SATOH: 1976 年の仙石河岸線の廃止まで、当地附近には貨物駅である仙石河岸駅が存在した。現在は野球場及びサッカー場となっていて、駅の存在を示す遺構は何も残されていない。
8. 七軒町停車場跡
Rue. SATOH: 1915 年に開通した、本庄と児玉を結んだ本庄電気軌道の停留所跡。踏切側の駐車場に案内板が立つ。本庄電気軌道はバスとの競合、及び 1931 年の八高線の開通により廃止。
9. SLキューロク館
Rue. SATOH: 車輌はいずれも状態が良く、真岡鐵道の尽力に頭が下がる。
10. 旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡
Rue. SATOH: 日本煉瓦製造株式会社上敷免工場で製造された煉瓦を鉄道で運搬すべく 1895 年に敷設された専用線の廃線跡。トラック輸送の普及に伴い 1972 年に休止。廃線跡は深谷市に譲渡され、現在は遊歩道に転用されている。
11. 川崎製鉄 NUS 7号機
Rue. SATOH: 1953 年から 1968 年まで、川崎製鉄千葉製鉄所で使われていた SL。製作は川崎重工兵庫工場。袖ケ浦東小学校の NUS 2、千葉公園の NUS 5、菰池公園の NUS 6 と違って野晒しなのが可哀想。
12. 小田原市内線202号
Rue. SATOH: 1956 年に廃止された箱根登山鉄道小田原市内線を走った路面電車車輌。王子電軌 (都電荒川線の前身) が製造した木造ボギー車 400 形の 1 両で、1952 年に箱根登山鉄道に譲渡。小田原市内線廃止後は長崎電気軌道に再譲渡され、2019 年まで走っていた。当地への移設は 2021 年。
13. C57 66
Rue. SATOH: C57 の 1 次形で製造は昭和 13 年 8 月 20 日 (川崎車輌)。戦前は大阪、戦後は昭和 48 年の廃車まで日豊本線で活躍。平日は 2 回、土休日は 4 回、圧縮空気でシリンダーを動かして、動輪を回転させる。露天展示なので将来が心配。
14. 常陸小田駅跡
Rue. SATOH: 1987 年の筑波線廃止で廃駅となった常陸小田駅の跡。相対式ホーム 2 面が残されており、地元の方の手によって丁寧に整備・保存されている模様。駅舎跡は小田城跡歴史ひろば案内所となっている。
15. 厚木基地専用線跡
Rue. SATOH: 厚木街道の相鉄本線踏切附近から分岐する、1941 年に敷設された海軍厚木飛行場への軍用線跡。戦後は飛行場共々米軍に接収され、相模鉄道が航空燃料を輸送する貨物列車を運行していた。1955 年には電化もされたが 1998 年 9 月 30 日で休止。路線跡は 2017 年 9 月 30 日に日本に返還。現在も厚木基地まで線路と架線が残されているが、基地内の線路は全て撤去されている。
16. 旧万世橋駅 2013プラットホーム
Rue. SATOH: 史跡に対する敬意が一切感じられない酷い改悪。ただでさえ狭い万世橋駅プラットホームにルーフデッキまがいの花壇を設置するセンスを疑う。ここに中央線の起点として栄えた駅があったことは追体験出来ず、単に電車を見てキャッキャするだけのスポット。
17. 旧並木橋駅
Rue. SATOH: 1927 年の東横線渋谷 - 丸子多摩川駅開業時に開設。1945 年 5 月の空襲で駅舎が全焼したことで営業を休止し、翌年正式に廃止。以前は高架線上にホーム側壁が残っていたが、東横線地下化に伴い遺構は消滅。現在はホーム状のモニュメントと、ここに駅があったことを示す説明板が設置されている。
18. 矢口発電所専用線跡
Rue. SATOH: 東京 - 横浜間の京浜線電車線開通に際し、その電力を供給すべく 1914 年に建てられた国鉄矢口火力発電所に燃料である石炭を運搬すべく引かれた専用線の跡。矢口発電所は関東大震災で大破し 1926 年に廃止。専用線跡の一部は品川電車庫分庫 (現 蒲田電車区) となった。蒲田電車区前の新蒲田保育園脇の小径から入り、多摩川児童館まで続く。途中は大部分公園化されており、廃線の面影は薄い。
19. 新奥沢駅跡
Rue. SATOH: 新奥沢駅は雪ヶ谷駅から国分寺方面への延伸を目指して 1928 年に開設された池上電気鉄道新奥沢線の暫定終着駅。池上電気鉄道が目黒蒲田電鉄に買収された翌年の 1935 年に廃止された。現在は駐車場脇 (東玉川2-40 の北西角) にここに駅があったことを示す石標がひっそりと建つだけで、当時の面影を探すことはできない。
20. 諏訪分駅跡
Rue. SATOH: 雪ヶ谷駅から国分寺方面への延伸を目指して開設されたものの、1935 年に廃止された池上電気鉄道新奥沢線の諏訪分駅の跡地。東玉川 2-15 と 2-16 の間の細い道が南西側に膨らむ微妙なカーブを描いているのは、ホームなどの駅施設を避けるためだと推定される。
21. 筑波自転車道
Rue. SATOH: 筑波鉄道筑波線の廃線跡を自転車道に転用したもの。正式名称は茨城県道 505 号桜川土浦潮来自転車道線とな。
22. 蒸気機関車 C12 287号機
Rue. SATOH: 1947 年日本車輌製。鹿児島機関区 / 南延岡機関区と主に九州を走り、1974 年に廃車。屋根付きの静態保存だが、保存状態はイマイチなように見える。
23. 東武鉄道モハ1726保存車両
Rue. SATOH: 1960 年から 1991 年まで 30 年近く日光・鬼怒川方面の特急列車として活躍した東武 1720 系。展示されている 1726 は第一編成を構成した先頭車の一輌で、製造は日本車輌東京。土日祝日と 8 月の公開日は内部に入ってシートに腰掛けることも可能。野晒しなので今後が心配。
24. 蒸気機関車 D51 862号機
Rue. SATOH: 大戦中の 1943 年に浜松工場で製造され、1971 年の廃車まで東海道本線、関西本線、中央西線を走った機関車。戦時型特有の前後を斜めに切り落とした蒸気溜を採用。除煙板は下部を後方に向けて斜めに切り上げる「長工デフ」(「長工」は国鉄長野工場の意味) と呼ばれるスタイル。ナンバープレートがプラ板で安っぽく見えるのが残念。本機とは無関係だが、周囲には原町田駅の各種遺品が展示されており興味深い。
25. 京王御陵線橋脚跡
Rue. SATOH: 1944 年に不要不急線として休止させられた京王御陵線の高架脚橋。2 基残っており、実際に目の前で見るとかなり巨大。
26. C58 322
Rue. SATOH: 1942 年製造で、主に北陸方面と二俣線で活躍した機関車。有料施設内かつ屋根付き展示なので保存状態は良好。
27. 新土浦駅跡
Rue. SATOH: 1987 年に廃止された筑波鉄道筑波線の駅。単式ホーム 1 面 1 線の駅で、筑波線がサイクリングロードに転用されたことから、現在もホームがそのまま残されている。200m 東に位置していた真鍋駅を貨物駅に転用する代替として 1959 年に開設された駅のため、「新土浦」という名前だが所在は旧真鍋町。
28. 青函連絡船記念館 摩周丸
Rue. SATOH: 青函連絡船 5 隻が沈没、2 隻が座礁、死者・行方不明者合わせて 1,155 人の被害を出した日本海難史上最大の惨事「洞爺丸事故」を取り上げるコーナーが充実。事故翌日の新聞各紙も閲覧できますが、悲惨な写真も数多く掲載されているので注意。
29. 東浜桟橋
Rue. SATOH: 明治 4 年に造られ、明治 43 年に若松埠頭に移動されるまで青函航路の船着場として利用されていた場所。旅客は沖に停泊した連絡船から、艀でこの桟橋に上陸した。現在の桟橋は昭和 34 年に整備されたコンクリート造のもの。
30. C型タンク飽和蒸気機関車 (NUS 5)
Rue. SATOH: 川崎製鉄千葉製鉄所で資材運搬を担当していた 26t タンク機関車で、製造は川崎車輌。サイドタンクにも川崎重工のシンボルであるリバーマークが配されている。同じ千葉製鉄所で同時期に使われてた同型機である NUS 6 は菰池公園で、NUS 7 は稲岸公園で、NUS 2 は袖ヶ浦東小学校でそれぞれ静態保存されている。
31. 鉄道連隊演習線跡
Rue. SATOH: 1908 年から 1909 年にかけて、旧日本陸軍の鉄道第二連隊が習志野 - 千葉間に敷設した演習線 (習志野線) の由来を示す案内板が京成大久保駅西側に建てられている。習志野線は軌間 600m の軽便鉄道で、戦後は一時期自衛隊の演習線として用いられていた。習志野市の最北端部から海まで延びるハミングロードのマラソン道路・サイクリング道路・鷺沼遊歩道部分はこの演習線の跡地を転用したもの。
32. タンコロ (江ノ島電気鉄道 100 型電車 107 号車)
Rue. SATOH: 1982 年に鎌倉市に寄贈された江ノ電 100 型電車で、1984 年から鎌倉海浜公園で動態保存されている。1 両 (単行) で運行されていたことから「タンコロ」の愛称が付いた。
33. 大町停留所跡
Rue. SATOH: 1944 年に廃止された大町停留所の跡地。和田塚 4 号踏切の西、御成通り商店街の入口向かい側に駅名標を模した看板が設けられている。
34. やすらぎの道しんめい / さいわい緑道
Rue. SATOH: 1972 年までこの地には南武線の川崎河岸駅 (貨物駅) が存在したが、ここに鉄道駅があったことを示す痕跡は南河原公園の先まで続く緑道のみ。川崎河岸駅は南武線の前身である南武鉄道の貨物ターミナルであり、本線からは矢向駅で分岐。多摩川上流で採掘された砂利はここまで輸送された後、多摩川の水運経由で東京湾岸へと運び出されていた。
35. 横浜市電最後のポール
Rue. SATOH: 1928 年に建てられた市電架線用のポール。2007 年に神奈川新町から横浜市電保存館に移設。
36. 鉄道創業の地の碑
Rue. SATOH: 初代横浜駅の跡地であることを示す碑。側面には品川 - 横浜開通時の時刻表・運賃・旅客規則が示されています。
37. 旧横濱鉄道歴史展示 (旧横ギャラリー)
Rue. SATOH: 日本における鉄道創業期の歴史を示す小さな展示スペース。110 系蒸気機関車・客車が真っ先に目に止まりますが、それ以外の展示も結構頑張ってます。横浜の歴史に興味があれば楽しめること間違いなし。日本で最初に走った機関車の説明など、窓の外側に向けた解説板もあるので要注意。入場無料。
38. 110形蒸気機関車
Rue. SATOH: 1872 年の鉄道開業に際してイギリスから輸入された蒸気機関車 5 形式のうちの一つで、交通博物館の 150 型、台北の A3 形と並び、現存する日本最古の機関車の一つ (160 形と 190 形は現存せず)。2020 年に青梅鉄道公園から当地に移設。
39. 山下臨港線プロムナード
Rue. SATOH: 1986 年に廃止された国鉄山下臨港線の敗戦跡。山下臨港線は横浜港駅から山下埠頭を結ぶ東海道本線の貨物支線で、山下公園南側にも高架が設けられていた。山下公園内の高架は全て撤去済みだが、大桟橋附近は高架が遊歩道化されて残っている。あまりにも綺麗に整備されていて、廃線跡感は薄い。
40. 汽車道
Rue. SATOH: 初代横浜駅 (現在の桜木町駅) から、現在赤レンガパークに遺構が残る横浜港駅までを結んでいた横浜臨港線という貨物線の廃線跡。かつて列車が走っていたことを示すかのように、遊歩道上にはレールが埋め込まれている。人工島を渡す 3 本の橋梁はいずれも明治時代に架けられたトラス橋で、横浜市認定歴史的建造物。
41. 旧横浜港駅プラットホーム (旅客昇降場)
Rue. SATOH: 横浜港発の海外航路に接続する東京駅からの連絡列車 (ボート・トレイン) が発着した旧横浜港駅のプラットフォーム遺構。戦後は氷川丸によるシアトル航路に接続する列車が発着。元は 140m のホームだったが現在残されているのは 55m ほど。横浜港駅から伸びる線路は、かつては汽車道を通って桜木町駅まで続いていた。
42. 貨物線の森緑道 (旧新興駅跡地)
Rue. SATOH: 横浜開港 150 周年を記念して、2007 年に東海道本線貨物支線の新興駅跡地を公園として整備したもの。ただ、整備されすぎていてここが鉄道遺構だと分かるようなものは何もない。
43. 蒸気機関車 C57 26号機
Rue. SATOH: 1938 年に川崎車輌兵庫工場で製造され、1971 年に廃車。1971 年が行田駅開業 5 周年に当たった縁で当地で静態保存となったようだが、野晒し展示で錆も酷い。
44. 京王線旧国領 (北浦) 駅跡
Rue. SATOH: 1913 年に京王電気軌道が笹塚 - 調布間を開通させた際、地元住民の用地提供によって開設された最初の国領駅 (停留所) の跡地。現在は案内柱が立つのみで、その説明もかなり読みづらくなっている。
45. 一之宮緑道 (国鉄相模線 西寒川支線跡)
Rue. SATOH: 1984 年に廃止された旧国鉄相模線寒川支線の廃線跡。一之宮 2-2 附近から分岐し、終点の西寒川駅 (1944 年まではその先に四之宮駅があった) までを結ぶ 1.5km ほどの単線だった。露骨に廃線跡だと分かる遊歩道で、一之宮公園附近には当時の線路も残されている。
46. 八角広場 (旧国鉄西寒川駅跡地)
Rue. SATOH: 西寒川駅は 1984 年に廃止された旧国鉄相模線寒川支線の終着駅。1923 年の開業時は東河原駅という名前だったが、後に相模海軍工廠となる昭和産業一之宮工場が 1938 年に設立されたことで昭和産業駅に改称して旅客営業を開始。西寒川駅への改称は 1944 年。広場には当時の線路が残されている。廃止直前のダイヤは茅ヶ崎直通の 1 日 4 往復のみで、附近の工場通勤の足としても不便なものだったらしい。
47. 立川基地引込線跡
Rue. SATOH: 中神駅から陸軍航空工廠への資材運搬用路線として 1943 年に敷設された引込線跡の遺構。当時の転轍機とレール、枕木が残されているこの場所はかつての分岐点で、道路は廃線跡を忠実になぞっている。戦後、立川飛行場と共に陸軍航空工廠が米軍に接収された後は米軍専用線として航空機の燃料や重油を運んでいた。
48. 中神引込線通り
Rue. SATOH: 中神駅から分岐し、陸軍航空工廠 (戦後は接収され米軍立川基地附属の工場地などに転用) へと通じていた貨物専用引込線の廃線跡で、地図上でも一目で廃線跡と分かるカーブを描いている。線路は転轍機が残されている場所で分岐していたが、この通りは西側から大回りして松風橋附近へ至る線路の跡を辿っている。
49. 4号蒸気機関車
Rue. SATOH: 川崎造船所兵庫工場製で 1925 年製造。1965 年のディーゼル機関車導入まで龍ケ崎鉄道を走り続けた機関車。
50. 日本セメント東松山専用鉄道 (高坂構外側線) 跡
Rue. SATOH: 高本にあった秩父鉱業東松山採掘場と高坂駅とを結ぶセメント原料運搬用の専用線の跡。1955 年開通、1984 年廃止。東武鉄道が管理しており、東武の路線名は「高坂構外側線」だった。一部区間が「まなびのみち」の一部として、自転車道・遊歩道に転用されている。
51. 赤羽緑道公園
Rue. SATOH: あからさまに緩いカーブを描く緑道は、赤羽駅の北側で東北本線から南西方向に分岐していた旧陸軍東京兵器補給廠専用線の跡。陸軍被服本廠や兵器庫 (現・赤羽自然観察公園) へと続いていた。
52. 蒸気機関車 D52 70号機
Rue. SATOH: 1944 年製造。中国地方から国府津機関区へ移り、1968 年の廃車まで御殿場線を走った。御殿場線電化前の最終列車の牽引も担当している。屋根付き保存で状態も良く、2016 年以降は圧縮空気を動力としてだが動態保存。
53. C-50 小山号
Rue. SATOH: 1930 年に日立製作所笠土工場で製作された C50 123 号機。1942 年から小山機関区に配属。金網 + 屋根付き保存で、見学可能時間のみ金網内で見学可能。
54. 旧真壁駅
Rue. SATOH: 1987 年に廃止された筑波鉄道筑波線真壁駅の跡。2 面 3 線のいわゆる国鉄型配線の駅で、現在も単式ホームと島式ホームが共に遺されている。
55. 蒸気機関車 D51 14号機
Rue. SATOH: D51 形最初の 15 輌の一台で、1936 年 2 月 29 日に大阪汽車会社で製作。半流線型 (いわゆる「ナメクジ形」) で作られた初期型。1940 年遺構は岩見沢、旭川、名寄と北海道での牽引に従事した機関車で、足回りにはスノープロウと呼ばれる排雪板も付けられている。
56. 流山鉄道 キハ31
Rue. SATOH: 流山鉄道で 1933 年から 1950 年まで使われていたガソリン客車。戦後はエンジンを外して純粋な客車として使われていた。
57. D51 745蒸気機関車
Rue. SATOH: 1943 年に日本車輌名古屋工場で製造。宇都宮機関区で東北本線・日光線で運用された後、1959 年から高崎第一機関区で信越本線・八高線の任に就く。1970 年廃車。
58. JR東海一周年記念 沼津機関区略史
Rue. SATOH: 御殿場線の西の起点として設置された沼津機関区の歴史を伝えるモニュメント。機関区自体は駅北側、現在 Plaza Verde がある辺りに置かれていた。煙室扉が掲げられている C58 230 は 1940 年川崎重工兵庫工場製作、1968 年沼津配属となり 1970 年廃車。
59. 安倍鉄道井宮駅跡
Rue. SATOH: 安倍鐵道は、安倍川沿いで産出される木材の運搬を目的として1916 年に井ノ宮〜牛妻 (現葵区牛妻) 間で開通した軽便鉄道。自動車の普及で経営が悪化し、1934 年で廃止。案内板には「1932 年廃止」とあるが、1934 年 7 月 13 日の官報の彙報欄には「去月十一日安倍鐵道株式會社に對し旅客運輸營業廢止の件許可したる處同十六日之を實施せる旨屆出ありたり (鐵道省)」(p320) とある。
60. EF16 28号機
Rue. SATOH: EF16 は元々奥羽本線の板谷峠の急勾配に対応できるよう EF15 を改造した形式。28 号機は上越線の急勾配区間用に改造された「上越形」と云われるタイプで、主に水上機関区に配備された。足元に配備されたでっかいスノープラウが印象的。
61. 内藤分ステーション跡
Rue. SATOH: 上野から高崎まで延びた日本鉄道線は利根川を渡ることが出来ず、1884 年に当地に前橋停車場を設けた。しかし明らかに前橋ではない場所であり、当地の地名から「内藤分停車場」と呼ばれていたとのこと。「内藤分」という地名は、武田四天王の一人・内藤昌豊が当地を与えられたことに由来するらしい。当地には石倉市史跡愛好会による石碑が建つ。ちなみに石倉町 1-4 の前橋ステーション跡とは別ベニューなので注意。
62. 前橋ステーション跡
Rue. SATOH: 石倉町 1-6-1 にある内藤分ステーション跡とは別に、こちらには「前橋ステーション跡を保存する会」による前橋停車場の史跡碑が建てられている。1884 年に出来た前橋停車場だが、翌年には利根川を渡る利根橋が出来たため、1998 年に利根川東岸の現前橋駅の場所に移転。
63. 鉄道第一連隊演習場跡
Rue. SATOH: 現在の千葉公園はかつて鉄道第一聯隊の演習作業場であり、鉄道の保守・新設・修理はもとより、敵地での鉄道破壊訓練も行われていた。現在でも様々な遺構が残る。
64. D51 453
Rue. SATOH: 汽車製造大阪工場で 1940 年製造。原ノ町、一ノ関、新庄と東北を走った後で鹿児島、出水、吉松と九州南部に移り、1974 年に廃車。野晒し展示。
65. 東武熊谷線橋脚跡
Rue. SATOH: 1940 年、中島飛行機工場の工員・資材輸送を目的として建設が決定された東武熊谷線の遺構。第一期工事である熊谷 - 妻沼間は 1943 年に開通したが、第二期工事である西小泉への延伸は終戦によって中断。利根川架橋時に建設された橋脚は、この一脚を残して 1979 年に撤去された。
66. 19648 機関車
Rue. SATOH: 1917 年に川崎造船所兵庫で製作。高山には 1939 年に配属され、1950 年以降は富山に配属。廃車は 1970 年。スノープラウが付いた状態というのが高山らしい。屋根付きで保管状態も良好。
67. キ100号形雪かき車
Rue. SATOH: 1934 年に国鉄浜松工場で製作された当時の最新鋭ラッセル車。飛騨小坂 - 高山 - 笹津間で 1980 年の廃車まで活躍。
68. 蒸気機関車C11
Rue. SATOH: 1941 年製造の C11 217 号機。七尾を経て 1968 年から富山第一機関区高岡支区に配属され 1969 年廃車。1969 年から当地で静態保存されているが、屋根付きにもかかわらずサビや退色が酷くて悲しい保存状況。
69. 伏木ヤード (伏木貨物駅跡)
Rue. SATOH: 2008 年の日本製紙伏木工場の廃止を最後に貨物列車の発着はなくなり、現在はジェイアール貨物・北陸ロジスティクスが販売目的で集めた各地の鉄道会社からの車輌を保管する場所になっている。写真は茨城交通ケキ 102。
70. 蛇松広場
Rue. SATOH: 東海道本線の建設資材を沼津港から陸揚げするために 1888 年に設けられた貨物支線 (沼津港線 / 蛇松線) の沼津港駅跡。駅は 1947 年に沼津港内港に移転したが、お祭り広場から当地までの線路は構内側線として 1974 年の廃止時まで使用されていた。車輪台座に「蛇松公園」の銘板あり。錆びついた腕木式信号機が寂しさを感じさせる。
71. 蛇松緑道
Rue. SATOH: 外堀通りから南南西〜南南東へと伸びる緑道は旧国鉄の貨物支線 (沼津港線 / 蛇松線) の跡地。元は東海道本線の建設資材を沼津港から輸送するために 1888 年に設けられたもの。後に沼津港からの海産物輸送に使われたが、輸送がトラックに切り替わったことで 1974 年に廃止。遺構は少ないが、千本東町の末端方面にはレールが、別の末端である蛇松広場には腕木式信号機が残されている。
72. 人車鉄道 小田原駅跡
Rue. SATOH: 1896 年に開業した豆相人車鉄道の小田原駅跡。豆相人車鉄道は東海道本線が熱海周りになる前は熱海へ向かう唯一の鐵道で、1907 年に熱海鉄道として軽便鉄道となった。後に大日本軌道が買収するが、関東大震災で大きな被害を受け、そのまま廃止。この案内柱が立つ角から南に伸びる御厩小路がかつての線路跡だった。
73. 旧 大網駅跡地
Rue. SATOH: 1896 年に房総鉄道 (外房線の前身) の大網駅が開設された場所。現在の東金線上である当地に大網駅が開設されたのは、房総鉄道の当初の目的地が東金だったためらしい。しかし東金への延伸が 1900 年なのに上総一ノ宮へはそれより早い 1897 年に延伸されており、正確な理由は不明。蘇我から上総一ノ宮方面へは当駅でスイッチバックが必要だったが、1972 年に現在地へ移転してスイッチバックは解消。
74. 在日米軍相模総合補給廠引込線跡
Rue. SATOH: 淵野辺駅から矢部駅近くまで北上した後、相模総合補給廠内へと乗り入れていた引込線の跡。1979 年廃止。今でも相模総合補給廠東側の廃線跡に部分的に線路が埋もれている。
75. 妻沼駅跡
Rue. SATOH: 妻沼駅は東武鉄道熊谷線の終点で、熊谷線の廃止に伴い 1983 年に廃止。駅は現在のニュータウン入口バス停附近に置かれていたが、現在は駅が置かれていたことを示す痕跡は認めがたい。
76. 東武鉄道キハ2002保存車
Rue. SATOH: 東武鉄道熊谷線を走った気動車で、2000 年に当地に移設。国鉄 80 系電車で採用された前面二枚窓 (いわゆる「湘南顔」) を採用。
77. 5号蒸気機関車
Rue. SATOH: 大谷石の輸送を目的として 1897 年に設立された宇都宮石材軌道 (設立時は人車軌道である宇都宮軌道運輸) が 1921 年に購入。宇都宮石材軌道は 1931 年に東武鉄道が買収し、東武大谷線となる。東武時代は東武 A3 型 No.58 の型番。1938 年に鹿島参宮鉄道 (現・関東鉄道) 竜ヶ崎線に移籍して 5 号機関車となり、1970 年まで現役で稼働。1982 年から当地で展示。
78. かめの道
Rue. SATOH: 1983 年に廃止された東武熊谷線の廃線跡。名前は当時走った列車の愛称「カメ号」から。
79. 旧東京競馬場前駅跡
Rue. SATOH: 1934 年に東京競馬場前仮停車場として開設されるが 1944 年に休止。1947 年に東京競馬場前駅と改名して営業再開も武蔵野線の開通により 1973 年に廃止。競馬開催日は長大編成の列車が入ってくるため、それに対応可能なホーム長を備えていた。現在は「電車ごっこ」のブロンズ像だけがここに駅があったことを伝える。
80. C12 187号
Rue. SATOH: 1938 年に日本車輌名古屋工場で製作。長らく九州を走り、1967 年に水戸機関区に移転。1970 年に廃車となり、2010 年から当地に展示。雨晒し展示も手伝って、少しサビが浮いているのが不憫。
81. D51 824号
Rue. SATOH: 国鉄浜松工場で 1943 年に製造。戦前は名古屋・浜松に配属。戦後は静岡を経て上諏訪・松本・長野で活躍し 1970 年に廃車。長野地区のカマらしく、後方に向けて切り上げた形で下側を切り落とした「長工デフ (長工は長野工場の意味))」と呼ばれる特異な形の除煙板を装備。傍らで併せて展示されている集煙装置も長工式と呼ばれるもの。
82. 健康緑道
Rue. SATOH: 上武鉄道日丹線 (丹荘 - 西武化学前 6.1km) の廃線跡。元は 1942 年に日本ニッケル株式会社が敷設した専用鉄道。1947 年からは日本ニッケル鉄道部を運営主体とする地方鉄道に転換して旅客運送を開始。1960 年に日本ニッケルの鉄鋼部が朝日化学肥料に譲渡された際に鉄道部が独立し、1962 からは上武鉄道に社名を変更。1972 年に旅客営業を終了し、貨物輸送も 1986 年に廃止。
83. 上武鉄道日丹線 神川中学校前駅跡
Rue. SATOH: 残されているプラットフォームはほぼ当時のまま。1 輌分の長さしかないのは、小さな二軸客車 1 輌を牽引する混合列車で運行されていたため。
Foursquare © 2024 愛情を込めてNYC、CHI、SEA & LAで作られています
最高のウェブ体験を提供するために、最新で最高のテクノロジーを使っています。ブラウザの設定で JavaScript を有効にして継続してください。
手持ちのスマートフォン用に Foursquareをダウンロード して、あなたの周りの世界を探索しよう!