今までに行った古墳や天皇陵やパワースポットやその分類
1. 天智天皇 山科陵 (御廟野古墳)
じゅんぺ~ 。: 天智天皇 山科陵(てんじてんのう やましなのみささぎ) 古墳名は「御廟野古墳」。築造年代は7世紀末~8世紀
2. 醍醐天皇 後山科陵
じゅんぺ~ 。: 醍醐寺が管理してきたために荒らされずに守られてきた数少ない「本当に天皇が埋葬された可能性の高い天皇陵」
3. 後醍醐天皇皇子 尊良親王墓
じゅんぺ~ 。: 尊良親王(たかよししんのう ?~1337 生年1306~11の諸説あり)
4. 花園天皇 十樂院上陵
じゅんぺ~ 。: 第95代 花園天皇、別名:富仁(とみひと)生没年:永仁5年(1297)~正平3(貞和4)年(1348)(52才)
5. 後土御門天皇後宮 贈皇太后朝子 般舟院陵
じゅんぺ~ 。: 般舟院陵(はんしゅういんのみささぎ)後柏原天皇御母 後土御門天皇後宮贈皇太后朝子陵です。平日しか扉が開いていません。
6. 嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓
じゅんぺ~ 。: 有智子内親王(うちこないしんのう、大同2年(807年) - 承和14年10月26日(847年12月7日))は、第52代嵯峨天皇の第8皇女。平安時代初期の皇族、漢詩人。初代賀茂斎院。
7. 宗諄女王墓
じゅんぺ~ 。: 伏見天皇十八世皇孫女宗諄女王墓。伏見宮第19代貞敬親王の第九王女 1816~1889年
8. 小町文塚
じゅんぺ~ 。: 恋文上達・恋愛成就のパワースポット。平安の貴公子達から小町に宛てた恋文千通が埋めてあると言われている。
9. 後花園天皇火葬塚
じゅんぺ~ 。: 後花園天皇がこの地にあった悲田院で火葬にされたという記録に基づいて明治以降に整備されたものですが、京都にある中世の多くの天皇陵や火葬塚の中では、最も信憑性のあるものといわれています。
10. 坂上田村麻呂之墓
じゅんぺ~ 。: 本当の墓は西野山古墓と推定されているらしい。じゃここは誰なんだろう?
11. 桂小五郎(木戸孝允) 墓所
じゅんぺ~ 。: 霊山の中でも、最も高い場所にある桂小五郎の墓。妻の松子の墓も一緒に並んであります。
12. 坂本龍馬の墓
13. 瓜生石
じゅんぺ~ 。: 知恩院の七不思議のひとつ。知恩院ができる前から道路の真ん中にあるこの邪魔な石は、昔キュウリが石の上に一晩でできたという伝説がある。地上に出てるのは25㎝ほどだが、地下はとてつもなく大きいそうです。隕石だという説もあり。
14. 豊国廟
じゅんぺ~ 。: 豊臣秀吉の廟所。墳までは565段の石段が続く。
15. 上賀茂向梅町 愛宕神社
じゅんぺ~ 。: 愛宕神社はここではない。ではこれはなんだ?誰か教えて~。
16. 宮道朝臣列子墓
じゅんぺ~ 。: 宮道列子(みやじのつらこ・れっし・たまこ) 生年不明~907年(延喜7年)10月17日薨去
17. 大石良雄遺髪塚
じゅんぺ~ 。: 大石 良雄(通称:大石 内蔵助)の遺髪塚。吉良邸へ討ち入った四十七士の一人、寺坂吉右衛門が持ち帰った遺髪を祀ったもの。
18. 太田垣蓮月仮寓跡
じゅんぺ~ 。: 太田垣蓮月仮寓跡(おおたがきれんげつかぐうあと)は、幕末維新・明治時代の尼僧 歌人 太田垣蓮月の寓居の跡 醍醐寺三宝院の南側、醍醐小学校の東南に石碑が立つ
19. 菅原道真衣裳塚
じゅんぺ~ 。: 菅原道真の衣裳塚。道真が太宰府で亡くなると、その衣服と遺物が太宰府から持ち帰られ、観賢が生前の意思にしたがって埋めたのが、長尾天満宮の衣裳塚だということです
20. 中臣遺跡ナイフ型石器発見場所
じゅんぺ~ 。: 石器 時代の中臣遺跡で、後期旧石器時代(約2万年前)と思われるナイフ型石器、 石核、剥片などが発見された場所。
21. 大田ノ沢のカキツバタ群落
じゅんぺ~ 。: カキツバタの咲く大田ノ沢は1000年以上もの昔からある自然の沢で、昭和14年に国の天然記念物に指定されました。平安時代の歌人・藤原俊成(ふじわらの としなり)も大田神社のかきつばたを歌に詠んでいます。「神山や大田ノ沢のかきつばた ふかきたのみは 色に見ゆらむ」
22. 北大路魯山人生誕地
じゅんぺ~ 。: 北大路魯山人の誕生地の碑。現代の文人・北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん、1883-1959)は、上賀茂神社の社家に生まれた。本名は房次郎。食と食器に拘り、美食家として知られた。1955年、重要無形文化財保持者(人間国宝)を辞退した。墓は西方寺(西賀茂)にある。
23. 朱雀天皇 醍醐陵
じゅんぺ~ 。: 朱雀天皇(誕生:923年9月7日 崩御:952年9月6日)の墓。北西にある父帝醍醐天皇の山科陵から遠くない。醍醐天皇陵が上ノ御陵、朱雀天皇陵が下ノ御陵と呼ばれていた。
24. 從是南 六條御境内(六条境内石標)
じゅんぺ~ 。: 「従是南六条御境内」(これより南、六条の御境内)この石標は西本願寺の北の境界。近年工事中に掘り出されたものと案内板には書いてあります。
25. 敏満寺遺跡
じゅんぺ~ 。: 敏満寺遺跡は、多賀町大字敏満寺に所在する青龍山の山腹及び青龍山から舌状にのびる台地上に広がる寺院跡で、山腹には大規模な中世墓地(石仏谷墓跡)が良好に保存されています。
26. マツに生えたサクラ
じゅんぺ~ 。: 枯れたクロマツの空洞に自然に鳥が種を運んできたヤマザクラが地中まで根をはった。1993(平成5)年松は枯れて倒れましたが、ヤマザクラは倒れたままで、花を毎年咲かせ続けています。
27. 後水尾天皇髪歯塚
じゅんぺ~ 。: 第108代・後水尾天皇の毛髪と歯を納めた塚。髪塔や髪爪塔は数が多いですが髪歯塚というのはここだけだと思います
28. 道標「→ 粟田山陵 亀山天皇分骨所 参道」
29. 浄菩提院塚 陵墓参考地
じゅんぺ~ 。: 埋葬者が特定出来ず、祭祀の対象にもならないものの、宮内庁によって陵墓の可能性があるとされている土地。、そのため、開発等による破壊から守る必要があるとして国が土地を買い上げて管理し、陵墓に準ずるものとして立ち入りが禁止されている。
30. 白河天皇 成菩提院陵
じゅんぺ~ 。: 白河天皇(しらかわ てんのう)は、第72代天皇(在位:延久4年12月8日(1073年1月18日) - 応徳3年11月26日(1087年1月3日))。諱は貞仁(さだひと)。法皇の遺体を荼毘に付したとされる火葬塚は京都市北区の金閣小学校の近くに現存する。
31. へそ石
じゅんぺ~ 。: 本堂古跡の石。もとは門前の六角通りにあったのを、明治のはじめにここに移したもの。かつてここが京都の中心地だったので『へそ石』と呼ばれている。
32. 亀山天皇分骨所
じゅんぺ~ 。: 亀山天皇(建長元年5月27日(1249年7月9日)-嘉元3年9月15日(1305年10月4日))鎌倉時代の第90代天皇。陵は京都府京都市右京区の天龍寺内にある。遺言により、嵯峨野にあった浄金剛院や亀山殿法華堂、南禅寺、高野山金剛峯寺にそれぞれ分骨された。
33. 冷泉天皇 櫻本陵
34. 桂小五郎幾松寓居跡
35. 佐久間象山・大村益次郎遭難の碑 北へ約壱丁 道標
36. 坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡・此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡
37. 志賀直哉旧居跡(山科之記憶)
38. 紫式部・小野篁墓所
39. 化粧水
40. 東山本町陵墓参考地
41. 小督塚
42. 東照大権現(徳川家康の墓)
43. オマールの墓
44. 一乗寺下り松 (宮本吉岡決闘之地)
45. 千本鳥居
46. 後冷泉天皇火葬塚
47. 東山天皇 月輪陵
48. 靈元天皇 月輪陵
49. 後水尾天皇 月輪陵
50. 後桃園天皇 月輪陵
51. 桃園天皇 月輪陵
52. 四條天皇 月輪陵
53. 陽光太上天皇 月輪陵
54. 後櫻町天皇 月輪陵
55. 明正天皇 月輪陵
56. 後西天皇 月輪陵
57. 後光明天皇 月輪陵
58. 櫻町天皇 月輪陵
59. 中御門天皇 月輪陵
じゅんぺ~ 。: 第114代天皇 1702年1月14日~1737年5月10日
60. 賀陽宮墓地・久邇宮墓地
61. 守脩親王・淑子内親王・朝彦親王墓
62. 陽成天皇 神樂岡東陵
じゅんぺ~ 。: 第57代 陽成天皇 (ようぜいてんのう)
63. 後一條天皇 菩提樹院陵
じゅんぺ~ 。: 第68代 後一條天皇 (ごいちじょうてんのう)
64. 桶狭間古戦場公園
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