Nao • 5月 17, 2015開港広場に地球儀の形をした日米和親条約調印の石碑が建っています。説明文⇒『安政元年(1854年)2月から3月にかけて、日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。これは、神奈川条約ともいわれ、日本の開国を促し、本市の誕生の遠因ともなった。歴史的舞台となった応接所のあとは、現在の神奈川県庁の付近である。』
Nao • 8月 28, 2017鴫立庵の石碑に刻まれた「著盡湘南清絶地」が湘南の由来。出家した俳人・祟雪にとって、大磯の「鴫立沢」一帯の景色が、中国湘江の南方一帯の『湘南』の美しい景色に似ていたことに因んでいる。
Rue. S. • 4月 10, 20211882 年、当時の農商務司法大臣である金子堅太郎の息子が日本人として葉山で初めてヨットを楽しんだことが「日本ヨット発祥」の由来。よく見ると石碑の形がヨットの帆。
Massara Nati …. • 7月 24, 2014駿府城公園の南側にある二ノ丸橋から東へ200mほどの場所、お堀の外側にあります。
Nao • 8月 8, 2015東京~熱海間に電話回線が敷かれ、明治22年1月1日に開通したが、東京都千代田区丸の内の三菱UFJ信託銀行にある『電話交換創始之地』(明治23年12月16日創始とある)よりも1年以上早く開通したことが伺えます。それだけ熱海には多くの有力者が来られていたのでしょう。 なお、石碑には『市外電話創始の地』とありますが、隣に設置された電話ボックスには、Venue名の通りの記載となります。
Nao • 12月 7, 2014説明文の抜粋:--ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする-- 安政の開港とともに, 生活様式の洋風化が進むなか, 政府の「断髪令」に先がけ, 明治2年(1869年)横浜に我が国初の 「西洋理髪店」が開業され, 欧米風「ザンギリ頭」 は文明開化の一翼を担うこととなった。平成元年11月
Massara Nati …. • 5月 5, 2015日本原産のわさびは各地に自生していたが、江戸時代の初期、山葵山に自生していたものを有東木(うとうぎ)の村民が採集して村内の湧水地での栽培に成功したのが始まりとのこと。
Nao • 11月 19, 2017弘明寺観音から観音通り商店街を抜けて弘明寺交差点前・横浜国立大学教育学部付属中学校の前にこの石碑は建っています。横国大工学部の発祥は大正9年(1920)のこと。石柱の上部が斜めに切り落とされたような形をしています。
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