Nao • 5月 17, 2015開港広場に地球儀の形をした日米和親条約調印の石碑が建っています。説明文⇒『安政元年(1854年)2月から3月にかけて、日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。これは、神奈川条約ともいわれ、日本の開国を促し、本市の誕生の遠因ともなった。歴史的舞台となった応接所のあとは、現在の神奈川県庁の付近である。』
Massara Nati …. • 4月 29, 2016明治2年(1869)、横浜裁判所と 東京築地運上所内に設けられた 「電信機役所」を結ぶ 約32キロメートルの電信線架設工事が開始され業務を開始しました。これが我が国における公衆電気通信の最初です。東京都中央区明石町にも「電信創業之地 碑」があります。
Nao • 7月 8, 2017横浜市地域史跡。横浜開港資料館の中庭に立つ大きな楠は、樹齢300年とも言われる巨木。1923年の関東大震災にて一度焼失するも、根の一部が生きていてそこから復活を遂げ現在の雄姿を見せています。ありあけ本舗ハーバーズムーンの店舗入り口にはこの玉楠をモチーフにしたモニュメントが飾られています。
Rue. S. • 4月 10, 20211882 年、当時の農商務司法大臣である金子堅太郎の息子が日本人として葉山で初めてヨットを楽しんだことが「日本ヨット発祥」の由来。よく見ると石碑の形がヨットの帆。
Massara Nati …. • 7月 24, 2014駿府城公園の南側にある二ノ丸橋から東へ200mほどの場所、お堀の外側にあります。
Nao • 8月 8, 2015東京~熱海間に電話回線が敷かれ、明治22年1月1日に開通したが、東京都千代田区丸の内の三菱UFJ信託銀行にある『電話交換創始之地』(明治23年12月16日創始とある)よりも1年以上早く開通したことが伺えます。それだけ熱海には多くの有力者が来られていたのでしょう。 なお、石碑には『市外電話創始の地』とありますが、隣に設置された電話ボックスには、Venue名の通りの記載となります。
Nao • 6月 9, 2019現地説明文要約⇒『昭和47年12月16日に横浜地下鉄が開業。開業当時は伊勢佐木長者町駅と上大岡駅間での営業であり、地上部の線路や車両基地がなく、開業に向け地下鉄の車両を地下に搬入するために、蒔田駅付近の鎌倉街道が選ばれた。昭和46年3月16日深夜、1両約30トンの車両がクレーンにより搬入。この銘板下の車輪は開業当初活躍した車両の車輪のひとつ。南区制60周年を記念し本銘板を設置。』
Nao • 11月 19, 2017弘明寺観音から観音通り商店街を抜けて弘明寺交差点前・横浜国立大学教育学部付属中学校の前にこの石碑は建っています。横国大工学部の発祥は大正9年(1920)のこと。石柱の上部が斜めに切り落とされたような形をしています。
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